

どうしたら憧れのクリエイターになれるのか? その秘密を現役で活躍するクリエイターに直接聞いちゃう『クリエイター仕事道』。今回のゲストはカンボジア・プノンペン在住のSDGsアーティストの中村英誉さんです。『社会貢献×デザイン&アート』をコンセプトに、数多くの環境啓発動画を制作しています。なぜカンボジアでSDGsアーティストとして活動するようになったのか?その理由について語っていただきました。
中村さんが携わった作品
アンコールワットのゆるキャラ『ワッティー』たちによる「クメール体操」はカンボジアの国営放送で毎朝放送!
プノンペンの地下排水施設で行われたプロジェクションマッピング『EcoCityProject』は、環境啓発イベントのひとつ。
途上国の子どもたちが描いた星々を映し出すプラネタリウム『Sustainariumu』
カンボジアで出会ったおばちゃんがアニメーションの世界へ導く
中村さんは子供の頃、どんな大人になりたかったですか?
幼い頃から「スナフキンのように“旅”しながら生きられる仕事ってなんなんだろう?」と、考えていました。特に16歳の時に中国旅行したことによって“旅”が好きになりました。冒険モノの漫画の影響もあったと思います。
17歳の時、一人旅の途中で立ち寄った京都近代美術館で、ロバート・キャパやユージン・スミスの写真に出会いました。それが人生初の美術館体験、そして、クリエイティブなモノとの出会いでした。
「フォトジャーナリストになれば、“旅”をしながら生きていけるかもしれない。カメラだったら、シャッターを押すだけ!」
そう思って、フォトジャーナリスト(カメラマン)を目指すようになりました。
フォトジャーナリストを目指し、どのような学校に進学しましたか?
高校3年の時にカメラマンになろうと、美大・芸大を目指しはじめ、美術系の予備校にも通うことにしました。最初はデザインとアートの違いが全くわからない状態でした。その頃は、写真の専門学科が少なく、とりあえずデザイン学科を目指して、デッサンをする毎日でした。
親には、「とりあえず4年生の大学に行け」と言われていたので、専門学校ではなく大学を目指しました。
ストレートでは合格できず、浪人生活に入り、目標もデザイン科から映像学科へ変更。1年間の浪人生活を経て、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)に新設されたばかりの映像・舞台芸術学科に入学しました。
―大学ではどんな学生生活を送りましたか?
前半はカメラを持って、長期休暇のたびに旅に出ていました。一回生の頃は、インドやネパール。二回生の頃は、マレーシアやカンボジアを旅しました。そして、暗室に籠って現像をする日々。それ以外にも、学生演劇の舞台監督など、アナログな活動を主にやっていました。
二回生の後半からは、カンボジアでのある経験をきっかけに、アニメーションやインターネットに興味を持つようになりました。そこからFlashやAfter Effectsなどで映像制作やwebサイト作りに熱中。どちらかというと、デジタルな活動にハマっていきましたね。
学生時代にしか経験できないようなことをたくさん経験し、そして実践されたんですね。そこから今の仕事を目指すようになったきっかけはあったのでしょうか?
2001年大学二回生の頃に、カンボジアを旅したことがきっかけです。
当時はまだ、フォトジャーリストに憧れていて、ポルポト内戦の爪痕を強く感じる途上国のカンボジアを旅先に選びました。
そんな旅の最中のある晩、ふらふらと深夜のローカル屋台に立ち寄った時のことです。
テキトーに指差し注文をして席に着くと、屋台のカンボジア人のおばちゃんが 「What’s your name??」 とカタコトの英語で聞いてきたので、こちらからも同じように聞き返してみました。
すると、おばちゃんは笑いながら 「ミサエ、ミサエ」 と答えました。訳も分からず不思議そうな顔をしていると、今度はその辺で走り回っている自分の息子を指差して 「シンチャン、シンチャン」と言い出しました。
それは、日本のテレビアニメ『クレヨンしんちゃん』の登場人物のみさえとしんちゃんのことだったようです。息子さんは野原しんのすけの様にいたずらっ子で、おばちゃんはいつもしんのすけの母・みさえのようにガミガミと怒っていると言いたかったのだと思いました。
言葉の壁がある中で、日本のアニメーションを通じてカンボジア人とコミュニケーションが取れたことに、単純に感動しました。
「これは写真なんかを撮っている場合じゃない!」と感じ、フォトジャーナリストからアニメーションの世界へと興味が移っていきました。
それは貴重な体験でしたね。仕事としてアニメーションの世界へはどのように飛び込みましたか?
海外志向が強かったので、大学卒業後は、3年ほど英国・ロンドンのアニメーション会社に勤務しました。2007年に日本へ帰国し、アニメーション系のベンチャー企業DLE(鷹の爪など制作)に1年勤務。2009年、株式会社HIDEHOMARE(現・コンパスアカデミア)設立。スマートフォンのUI/UXデザインの案件に携わるようになりました。
2010年、東大内ベンチャー株式会社フィジオスのアートディレクターに就任。米国シリコンバレーのビジネスコンテストiEXPOにて最優秀賞受賞。ノマドワーカーとして、数々のスマートフォン企画・デザインなどを行うようになりました。その流れで、東日本大震災後、カンボジア渡航し現在に至ります。
作成したアニメーションがカンボジアのテレビで毎朝放送
中村さんの代表作を教えてください
プノンペンの地下施設で行ったプロジェクションマッピング『EcoCityProject』
途上国の子どもたちが描いた星々を映し出すプラネタリウム『Sustainarium』
SDGs×ASIA×ARTテクノロジーを活⽤した持続可能なアート業界を作る『WhiteCanvas』
ビジネスとして、ターニングポイントとなった作品はありますか?
カンボジア渡航後、3年ほどはインターネットを通じて日本の普通のデザインや映像案件をこなしていました。そんななか、NGOとカンボジアの教育省、JICA(国際協力機構)とともに制作した『ワッティーのクメール体操』がカンボジアの国営放送TVKで毎朝放映されことになったのです。『ワッティー』は私がデザインした、カンボジアの世界遺産アンコールワットのゆるキャラです。ポルポトの内戦で失われていた伝統的な体操を復興させるためにアニメーションを制作しました。
その仕事から、どんなことを学べましたか?
『社会貢献×デザイン&アート』をコンセプトに、ワッティーを使った数多くの啓発動画を制作しました。クライアントや協業先も、JICA(国際協力機構)や国際連合工業開発機関UNIDO)、国際交流基金、日本財団やNGO・NPOなど、数々のソーシャルセクターや省庁、財団などと仕事をする機会を得ることができました。特に、近年ではSDGsの普及とともに、大企業との直接取引も増えています。
まさに時代の潮流に乗っていますね。そんな中村さんも仕事で失敗した経験はありますか?
Youtuberデビューです…。三日坊主とまでは言いませんが、かなり短期間でギブアップしてしまいました。理由は心が折れたこと。やはり自分自身が顔出しで出演するのが恥ずかしくて、恥ずかしくて仕方がなかったです…。心の中では、リベンジしたいとは思っていますが…。
“ひでほまSDGsクリエーター”.YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCku-bkqLmkGlF7LydLKOcfg
中村さんが作品作りで一番感動を味わえる瞬間はどんな時ですか?
色々な国を旅しながら、その土地のカフェで仕事をする瞬間はとても幸せですね。その国々のコンテンツ制作をしたり、アニメーションやデザインのワークショップを行ったりして、子どもたちに喜んでもらえるととても感動します。
そして、国境を超えて言語も通じない国のクリエイターやアーティストと、自分たちの作品を見せあったり、カタコトでもコミュニケーションをしたりする時もとても興奮します。
中村さんが仕事で大切にしている事、意識している事を教えてください。
クリエイティブの源は、コミュニケーションです。
特に、仕事としてのクリエイティブやデザインは、相手の話をよく聞き、相手に喜ばれるモノを作ることを、最も意識しています。そして、コロナ禍でなかなか難しくなってはいますが、フットワークの軽さも大切にしています。できるならば、相手に直接会いに行く。デジタルでのやりとりが多用化しているからこそ、一番プリミティブな『直接会いに行くこと』に価値があると信じています。
ポイントはスペックと軽さのバランス
現在、どんなPCや周辺機器を愛用していますか?
16インチノートパソコン
プロセッサ | 2,3 GHz 8コアIntel Core i9 |
---|---|
メモリ | 16 GB 2667 MHz DDR4 |
ストレージ | 1TB |
グラフィックス | AMD Radeon Pro 5500M 4 GB Intel UHD Graphics 630 1536 MB |
ペンタブレット | Wacom INTUOS CTL-490 |
PCや周辺機器を選ぶ際の基準を教えてください。
映像を制作するので、CPUやグラフィックボードなど、スペックはなるたけ良いものにします。しかし、持ち運びをするので、昔からなるべく軽いノート型パソコンを選ぶようにしています。
軽さとスペックのバランスが重要です。
また、最近は自分よりも、カンボジア人スタッフ・メンバーのPCの方に、妥協なくお金をかけるように心掛けています。その方が、結果としてプロジェクトはスムーズに回るからです。
中村さんならではの裏技などはありますか?
う〜〜ん、裏技はあまり思い浮かばない!?
あえて言うなら、カンボジアに来ちゃう、というところが意外に裏技かもしれないです。
まだクリエイティブ業界がない発展途上国に来ると、何を作ってもパイオニアになれます。たくさんの面白いプロジェクトを作ることができるので、おすすめかもしれません。
視野を世界に広げ、楽しもう!
中村さんにとって“クリエイター仕事道”とはなんですか?
誰もがデジタルで写真を撮ったり、映像を編集したり、ロゴなどのデザインを作れる時代になりました。私が学生だった頃のクリエイターの価値観とは大きく変わっています。
時代は変化しても、単に人にモノを売りつける『広告』だけが、デザインの本当の姿ではないと信じています。
つまり、クリエイターとは『新しい価値』を創造する仕事。今までない『価値』を探し続けることが、これからのクリエイターの姿だと思います。デザインのようにクライアントに振り回されるだけではなく、とはいえアートのような独りよがりではない、今までにない『価値』を見つけていきたいですね。
クリエイターを目指す若者たちにメッセージをお願いします!
クリエイティブは、時として言語を超えます。たとえ英語や外国語が話せなくても、世界へ飛び出すことはできます。日本はクリエイター志望が多くて、レッドオーシャンです。
しかし、日本で難しくても、ちょっと外に出たり、業界をズラしたりするだけで、面白いプロジェクトはたくさん転がっています。ぜひ、ちょっと視点を変えながら色々なことに挑戦して欲しいですね。
そして、世界はかなり大きく変化しています。日本にいると、ちょっとネガティブな報道や空気が漂っているような気もしますが、クリエイティブの業界はチャンスだらけ。既成概念に囚われずに、自由にクリエイトしましょう。楽しく生きていこう!
中村さん、ありがとうございました!
新しい価値を生むことがクリエティブなこと
旅人になりたくて世界中を飛び回った中村さん。カンボジアで出会ったおばちゃんとの会話をきっかけにアニメーションの世界に飛び込み、今ではそのカンボジアの国営放送で放送されるアニメーションを制作するまでに至りました。「時代は変化するけど、クリエイティブな業界はチャンスだらけ」という言うように、中村さんは自ら新しい環境に飛び込みチャレンジし続けてきたからこそ今の姿があるのでしょう。「楽しそう」と思ったことに迷わずチャレンジすることがクリエイティブの第一歩です!
クリエイタープロフィール
中村英誉さん
SDGsアーティスト、一般社団法人ソーシャルコンパス代表
2004年京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)卒業後、単身渡英。ロンドンC.H.A.S.Eアニメーションスタジオにてディレクター・キャラクターデザイナーとして労働ビザ取得し3年間勤務。2007年帰国後、DLE/蛙男商会のメンバーとして『鷹の爪』などのテレビアニメ・映画・WEB・モバイルなどのコンテンツ制作に関わる。2009年に個人事務所株式会社『HIDEHOMARE』設立。2010年3月東大内ベンチャー企業の株式会社フィジオスのアートディレクターとして、米国シリコンバレーのビジネスコンテストiEXPOにて最優秀賞を取得。2012年5月カンボジア・プノンペンに渡り、JCエンターテイメントの代表として東南アジアからのデザイン・クリエイティブコンテンツの発信。ノマド的に移動しながら、新しいメディア・グローバルなソリューションのプロジェクトに関わる。
HP:https://socialcompass.jp/

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