どうしたら憧れのクリエイターになれるのか? その秘密を現役で活躍するクリエイターに直接聞いちゃう『クリエイター仕事道』。今回のゲストはグラフィックデザイナーでありながら駄菓子屋店主でもある中村晋也さんです。なぜ二足のわらじを履くことになったのでしょうか?

クリエイター最終更新日: 20220512

グラフィックデザイナー:グラフィックと駄菓子屋、二足のわらじを履いている理由とは?

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どうしたら憧れのクリエイターになれるのか? その秘密を現役で活躍するクリエイターに直接聞いちゃう『クリエイター仕事道』。今回のゲストはグラフィックデザイナーの中村晋也さんです。実は中村さん、グラフィックデザイナーでありながら駄菓子屋店主でもあります。なぜ二足のわらじを履くことになったのでしょうか?

中村さんが携わった作品

ひばりが丘PARCOの『ひばり文化祭』のアートデザインの仕事に加え企画等にも参加。これを皮切りに、イベントの企画にも携わるようになったそうです。

地域に寄り添ったモノ・コト・情報を届けている西東京市駅前情報発信拠点「まちテナ西東京・まちテナショップ」。店舗デザインだけでなく、企画から参加しました。

東日本大震災がきっかけで駄菓子屋をスタート

中村さんは子供の頃、どんな仕事につきたいと思っていましたか?

漫画家です。椎名町にあったトキワ荘の住民、なかでも特に藤子不二雄のお二人に憧れていたので、彼らのような児童漫画家になりたかったです。

漫画家を目指して、どのような学校に進学しましたか?

多摩美術大学に進学しました。

学生時代はどんな学生でしたか?

大学では漫画部と野球部に入り、毎日遊んでいた記憶があります(笑)。漫画家を目指していたので、出版社へ漫画の持ち込みにも行っていました。しかし在学中のデビューはかなわず、卒業後も半年ほどはアルバイトをしながら漫画家を目指していました。しかし、段々と将来が不安になり結局就職することにしました。

今の仕事を目指すきっかけは何だったんですか?

漫画家以外の目標がなかったので途方に暮れましたが、漫画に近いと思いアニメ制作会社へ就職することにしました。ただ、ちょっと思い描いた世界ではなく、大手のテレビCM制作会社に転職。1年ほど働きましたが大人数が関わる制作スタイルが合わず、少人数でできるクリエイティブな仕事をめざして地方の広告代理店に再度転職。この会社では紙媒体を内製していて、そこで紙媒体の制作を学びました。そこからデザイン業務に携わるようになりました。

現在のグラフィックデザイン×駄菓子屋というスタイルにはどんな経緯が?

それは東日本大震災で帰宅困難者になったことです。ネット環境が整いはじめ、大容量のデータ通信も可能になっていたので、家族の側で仕事ができないか考えるようになりました。ただ普通のデザイン事務所を作っても面白くないので、自分の子どもが放課後に遊びに来られるような居場所にもなり、自分もワクワクできる空間にもなり得る「駄菓子屋」を住まいのある街の商店街の中にオープンしました。

このことが”街”仕事をするきっかけとなり、駄菓子屋をひらいたおもしろいデザイナーがいるということで、様々な地域のプレイヤーとつながり、㈱エフエム西東京やひばりが丘PARCO、多摩六都科学館などから声がかかるようになりました。

“街”の仕事で、地元に貢献

中村さんの代表作を教えてください

ひばりが丘PARCO ひばり文化祭・We loveひばりが丘 企画・デザイン(2018-2022)

福島県広野町復興支援イベントひろのアートキャンプ企画・運営・デザイン(2019)
https://www.town.hirono.fukushima.jp/kankousports/kankou/1001586/1001970.html

エフエム西東京ロゴデザイン・番組表企画・デザイン(2020)

西東京市駅前情報発信拠点 まちテナ西東京 企画・デザイン(2020)

ASTA西東京周年祭田無むかし写真展企画・デザイン(2021)

西東京市コロナ啓発動画ディレクション(2021) などです。

ターニングポイントになった作品はどれですか?

ひばりが丘PARCOで開催された企画展です。「ひばり文化祭」のデザイナーとして参加しました。これをきかっけに、デザインだけでなくイベントの企画などでも、声をかけていただくようになりました。

イベント企画などにも携わるようになったんですね。仕事で失敗を経験したことはありますか?

同時に複数の案件をかかえ締め切りを守れず入稿日をずらしてもらったり、提出を待ってもらったり、ご迷惑をかけることが多々あり、現在進行形で猛反省しています…。

中村さんが仕事をする中で、気持ちが高まる瞬間はどんな時ですか?

街の中で仕事をするようになって、自分が制作した作品を街中で見る機会が増えました。街で暮らす人々が、自分が関わった企画や、お店に接している姿を見ることができたとき、嬉しく思います。

中村さんが仕事で大切にしている事、意識している事を教えてください。

作品として成果物を残すだけではなく、楽しく仕事が出来る人間関係を作りたいと思っています。

ノートPCをモニタに繋げてストレスフリー

現在、どんなPCや周辺機器を愛用していますか?

16インチの下記のスペックのノートパソコンとiPad pro(+Apple Pencile)を使っています

PC

CPU Intel Core i9 2.3 GHz 8コア
メモリ 32 GB 2667MHz DDR4
グラフィックス AMD Radeon Pro 5500M 4GB
Intel UHD Graphics 630 1536MB

周辺機器

  • モニタ iiyama 27インチ
  • 外付けSSD SanDisk PortableSSD 1TB(×2)
  • NAS BUFFALO 6TB

作業場所がオフィス以外になることも多いのでノートパソコンであることは必須で、事務所や自宅ではモニタに繋いで使用してます。パソコンを買い換えるときは友人などが使っていて、Adoobeのソフトが安定して動くシステム環境にしています。

幼い頃好きだったことが、現在につながる!

中村さんにとって“クリエイター仕事道”とはなんですか?

クライアントにお金をいただいて“表現”する以上、僕たちは常にその方々との共同作業をしているわけです。ですから決して独りよがりのものを作ってはいけない、と思っています。そしてその共同作業の中で「自分らしさ」をいかに表現するか、それをテーマにして仕事をしています。

クリエイターを目指す若者たちにメッセージをお願いします!

役に立つ、立たないではなく色々な興味をもって欲しいと思います。
そして作品を作る上で得意なジャンルがあるというのはとても強みになります。
児童漫画家を目指したこと、駄菓子屋が好きだったことなど、気がつくとすべて今の自分の仕事につながっていました。

中村さん、ありがとうございました!

好きなこと、得意なことを続ける

漫画家を目指していた中村さんですが、心機一転就職によりグラフィックデザイナーになります。また東日本震災をきっかけに、子供たちが放課後気軽に集まれる場所を、と駄菓子屋も経営。好きなことを続けることで新しい“仕事”の形を実現することができました。夢を実現するためには、好きなこと、得意なことを続けることが大切なんですね。

クリエイタープロフィール

中村晋也さん
グラフィックデザイナー
1974年生まれ。西東京市在住。高校卒業後、多摩美術大学芸術学科に入学。2002年に神楽坂 に先輩と2人でデザイン会社有限会社NKグラフィコを設立。雑誌やカタログ・パンフレットなどの 制作を行う一方で、新たな活動の場として、住処のある西東京市に駄菓子屋併設型デザイン事務所『ヤギサワベース』を2016年4月にオープン。「10年後にも存続可能な駄菓子屋」と「地域 に寄り添えるデザイン事務所」という2軸を目標として、地域により沿って活動。

HP:https://yagisawabase.com/

Instagram:https://www.instagram.com/yagisawabase/

ライタープロフィール パソコン工房NEXMAG [ネクスマグ] 編集部

パソコンでできるこんなことやあんなこと、便利な使い方など、様々なパソコン活用方法が「わかる!」「みつかる!」記事を書いています。

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